大阪地方裁判所 平成元年(ヨ)3203号 決定 1990年9月20日
申請人
道原明光
右代理人弁護士
横山精一
同
小林保夫
同
森信雄
同
岩城裕
被申請人
極東交通株式会社
右代表者代表取締役
佐野勇雄
右代理人弁護士
田邉満
主文
一 申請人が被申請人に対し労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。
二 被申請人は、申請人に対し、金二八〇万円及び平成二年九月以降本案の第一審判決言渡しに至るまで毎月二八日限り、月額金二八万円の割合による金員を仮に支払え。
三 申請人のその余の申請は、これを却下する。
四 申請費用は被申請人の負担とする。
理由
第一申請
無期限で平成元年一〇月二一日以降月額金二八万四三九五円の仮払いを求めるほか、主文一、二項と同旨
第二事案の概要
一 争いのない事実
1 被申請人は、自動車による旅客運送業(タクシー業)等を営む会社であり、申請人は平成元年六月六日、被申請人会社に入社しタクシー運転手として稼働するようになった。
2 申請人は、平成元年八月三日、勤務時間中に交通事故に遇い、休職して通院加療のすえ同年九月一八日ころ完治した。
3 被申請人は申請人に対し、平成元年九月二一日、被申請人会社渉外課長兼営業課長中間利夫(以下「中間課長」という。)を通じて口頭で申請人を経歴詐称により解雇する旨告げた。被申請人はさらに同年一〇月二三日付同日到達の内容証明郵便により、申請人の試採用期間が終了したが、申請人が雇入れの際採用条件の要素となるような経歴を詐称したので本採用はしないことに決定したので、治癒日から三〇日経過後の一〇月二〇日付をもって解雇する旨の意思表示をなし、申請人の就労を拒否している。
二 争点=本件解雇の効力
第三当裁判所の判断
一 経歴詐称の有無
1 本件解雇の主たる理由として、申請人に雇い入れの際採用条件の要素となるような経歴詐称があったとの主張がなされているので、まずこの点につき判断する。
申請人は平成元年六月五日、被申請人会社に求職に訪れ、中間課長の採用面接を受けた。申請人の職歴につき申請人が持参した履歴書(<証拠略>)の記載は、福岡で中学校を卒業後しばらくして地元の洋服店で約一九年勤めた後、大阪に出てきて昭和四三年一二月から同四六年五月まで「広山洋服店」、同四六年一二月から同四八年八月まで「竜ゲ交通」、同四八年一二月から同五七年一月まで再び「広山洋服店」、同五七年二月から平成元年二月まで「仲川交通」に勤務したとなっている。申請人はこの他にも昭和四八年八月「龍華交通株式会社」を退職してから「仲川交通株式会社」に入社するまでの約二〇年間に、本業の「広山洋服店」の仕事のみでは収入が不安定なために、アルバイト的にいくつかのタクシー会社に勤務したことがあったが、これらは約六年ないし二〇年前の古いことで、面接当時申請人に時期・会社名等明確な記憶がないこともあって記載していなかった。
2 つまり、申請人が提出した履歴書には、被申請人の採否の判断に最も重要な直近の職歴である仲川交通株式会社についての記載はなされており、そこに勤務状況につき問い合わせのうえで申請人の入社は許可されている。また、それ以前の職歴についても本業に関する限りほぼ正確に記載されており、履歴書に記載のない部分は重大なものとはいえない。そして、平成元年九月二一日に経歴詐称を理由とする解雇の意思表示を受けた申請人が「そのことは最初から言うているでしょう。」と抗議したのに対し中間課長が「えらいさんが解雇や言うとるから具合悪い。」と返答したやりとり等からみても、この点については、採用面接の際担当の中間課長には説明し了解済みであったと認められる。中間課長はこれを否定し、その有力な根拠に採用面接の際のメモ(<証拠略>)に右説明を受けた記載がないことをあげるが、他のタクシー会社に勤めた経歴の持ち主であっても採用するという被申請人会社の方針からみれば、乗務員不足の折でもあり、中間課長が申請人の説明を重視せずに、メモも取らなかったということは十分考えうるから、前記認定を覆すに足りない。
また、申請人に対して会社が経歴詐称を問題としていると告げられたのは平成元年九月二一日が初めてのことであったが、会社は、申請人が事故により休業する約一か月前である平成元年七月七日ころすでに、財団法人大阪タクシー近代化センターから申請人の登録原簿の写しを取り寄せていたから、申請人の経歴の詳細は少なくともこの時点では明確になっていた。もし、被申請人会社の主張どおり右登録原簿の内容に被申請人会社にとって初耳の重要な問題が含まれていたとすれば、被申請人はこの段階で申請人に対し少なくともこれにつき釈明を求める等何らかの具体的行動に出て然るべきであるのに、そのような行動に全く出ていないこともまた、前記認定を裏付けるものといえる。
なお、被申請人は近代化センターから取り寄せた登録原簿の写しに記載されていた「消除」や「免停」も経歴詐称に該当すると主張するようであるが、「消除」は運転免許証の効力には無関係で、単に申請人が昭和五五年頃に二年以上タクシー運転手として稼働していなかったので近代化センターの登録を抹消したというにすぎないし、「免停」も古いことであり、被申請人が採用時質問事項としている過去三年以内(<証拠略>)における行政処分にはあたらないから、何ら経歴詐称とはならない。
3 以上、申請人の履歴書は本業の記載に限ればほぼ正確に記載がなされており、古いアルバイトについての記載こそなかったが、この点は面接の際中間課長に対しその旨説明し了解を得ていたものであるから、経歴詐称があったとはいえない。他に申請人に何らかの経歴詐称があったとの疎明はない。
二 本件解雇の効力
被申請人の主張する本件解雇の理由は、申請人に経歴詐称があり、しかも判明した過去のタクシー会社に申請人の問い合わせを行った結果がはかばかしくなかったため、申請人を本採用しないことと決定したというものである。
しかし、前記認定のとおり申請人には経歴詐称があったとはいえないし、また、被申請人は過去のタクシー会社への問い合わせの結果がはかばかしくなかったと主張しながらその具体的内容につき何ら疎明しない。
なお、被申請人は申請人の過去のタクシー会社勤務があまりにも多くまた転職も頻繁であると問題にしている。たしかに、申請人は当時タクシー会社の勤務先を二年ないし数か月で変えている。しかしこれは申請人が当時本業の洋服仕立業のみでは生活できないので、タクシー運転手の新規採用の際受けられる支度金制度を目当てに、本業の傍らその都度異なるタクシー会社に就職していたためであるというのであるから、理解できないことはない。そして、申請人は、洋服仕立業の仕事が少なくなり、四人の子供たちが成長し生活が落ち着いた頃からは、洋服仕立業をやめ、直近の仲川交通株式会社にはタクシー運転手を本業として、少なくとも六年の長きにわたり勤務していたものであるから、以前に転職が多かったことが必ずしも現在及び将来における申請人の職業活動の不安定さを懸念させることにはならないというべきである。
ところで、本件では、申請人が六五日間の試採用期間の五九日目に業務上の交通事故で負傷し休業中に、当初の試採用期間満了日である平成元年八月九日が経過したため、申請人が本採用になったか否かも争われている。しかし、仮に本件解雇の意思表示が、延長された試採用期間中になされた本採用拒否にあたるとしても、申請人は被申請人会社入社後、試採用期間の九割にあたる期間熱心に働き、平均的乗務員よりも好成績をあげていたところ、業務上の不慮の事故に遭遇し休業のやむなきに至ったというものであるから、採用面接の際説明し了解済みのはるか過去のタクシー会社勤務歴のみを持ち出して申請人の従業員としての適格性を否定し、その本採用を拒否することは合理性を欠き、被申請人の留保解約権の行使は権利の濫用として無効なものというべきである。また、本件解雇の意思表示が、申請人が本採用従業員となってからなされた通常解雇もしくは懲戒解雇の意思表示であるとすれば、右解雇はなおさら合理性を欠き、権利の濫用として無効であると解されるので、いずれにしても、本件解雇は無効である。
よって、申請人は依然として被申請人会社に対し労働契約上の権利を有する地位にあるものである。
三 保全の必要性
申請人の四人の子供はいずれも成人し、現在は専業主婦の妻及び長女、三男の四人家族である。働いている長女、三男は多少の生活費を入れるものの、申請人が被申請人から支給される賃金を主たる収入源として申請人及びその家族の生計を営んできた労働者であることは明らかであり、本件解雇により平成元年一〇月二一日以降第一審の本案判決の言渡しに至るまで被申請人会社の労働者として扱われず、毎月の賃金が受けられないとすれば、その生活に著しい支障を来たし、申請人に回復しがたい損害を生ずるおそれがあるものと考えられる。しかし申請人が第一審の本案判決の言渡し時以降に及んで金員の仮払いを求める部分は、申請人が本案の第一審において勝訴すれば仮執行の宣言を得ることによって右と同一の目的を達することができるので右申請部分については必要性を欠く。
申請人が被申請人より平成元年六月六日から同年八月三日までの五二日分の勤務の賃金として同年八月二八日までに支給された金員は合計五六万八七八九円である。(<証拠略>)。事故による休業中の損害は加害者側から支払われた。また、被申請人から最後に、解雇の予告手当の趣旨で三〇日分の賃金が申請人の口座に振込まれている。申請人は左足が小児マヒのため身体障害者六級の認定を受けており、タクシー運転手以外の仕事は困難であるが、本件係争の経緯からアルバイトもままならず、借金によりかろうじて生計を営んできたものである。そして申請人の妻の健康状態、養老院にいる妻の母への仕送りその他本件疎明に現れた一切の事情を総合すると、申請人に対しては金二八〇万円及び平成二年九月以降本案の第一審判決言渡しに至るまで毎月二八日限り、月額金二八万円の割合による金員をもって現在の危険の回避に必要な仮払い額と認めるのが相当である。
四 結論
以上、本件仮処分申請は、主文一、二項記載の限度で理由があるから、事案の性質上保証を立てさせないでこれを認容し、その余は理由がなくかつ保証をもって疎明に代えさせることも相当でないからこれを却下し、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 水谷美穂子)